教 員 紹 介

教師会より

子どもたちが毎日の学びの中で、驚きと喜びを通して世界に出会うこと。
友達や周りとの関係性を大切に築き、自分を見つけること。
そして自分で世界の理(ことわり)や謎を探求する力を身につけていくこと。

福岡シュタイナー学園ではこれらを実現するための教育環境を、豊かな自然と郷土の歴史、世界と未来に開かれた地域性から素材を得て、教師と保護者が力を合わせ共につくっています。
学園の子どもたちは学校行事などでは、全体で一つのことに取り組み、低学年の子どもたちは
高学年に憧れ手本として学びの意欲を高め、高学年は誇りと責任感をもって低学年を思いやり支え合います。
福岡シュタイナー学園の教育の充実と発展のためにお心を寄せていただきますようお願い申し上げます。

教員紹介

 広島の自然豊かな土地に2人姉妹の次女として生まれました。お盆やお正月、お彼岸など、親戚が多く集まり、日頃も人が多く出入りする家で育ちました。
 
高校生の頃、音楽の教師を目指して学ぶ中、恩師との出会いで、大学では声楽を専攻しました。恩師からは、人間は良くなっていくのだという、人間への信頼を教えられた気がします。その頃の経験から、人が成長していくこと、変化していくことに関心を持ち続けています。それが今につながっているのかもしれません。
 
20代の後半、新聞でシュタイナー教育に関する記事を見つけました。こういう教育を受けてみたかったという気持ちから、子どもはシュタイナー教育を取り入れている幼稚園に通いました。そこで、講座に参加したりライアーを習い始めたり、少しずつ学びが始まりました。ライアーの響きに耳を傾ける時間は自分と向き合う大切な時間です
 学びを進める中、福岡シュタイナー学園で手芸の時間を担当させて頂き、今年から一年生の担任として子どもの前に立つ機会をいただきました。
福岡生まれ。子ども時代は海や畑などの自然の中で生き物などを探すことがお気に入りの時間でした。夢は「世界一周すること」。色々な国へ旅をし、子ども達に英語教室で英語を教え始め、様々な子ども達と過ごす日々で教育への関心が深まりました。
 
我が子たちを通してシュタイナー教育に出会い、「こんなに面白く美しい授業があるとは知らなかった!」と感動しました。保護者として関わりながら日本シュタイナー学校協会教員養成を受講。
 
縁あって教師として子ども達とともに歩める日々に感謝しています。子ども達が困難にぶつかり転んでも立ち上がり、その子らしく進んでいけるよう、力を尽くしていきたいと思います。

音大在学中に オーケストラの北米演奏旅行の通訳として同行した時 アメリカに魅了され 卒業後 すぐ渡米しました。多感な時期を アメリカで過ごせた事は 良くも悪くも その後の私の人生を決定する上で 大きな意味を持ちました。

子ども達にピアノを教えていた頃、自分が何度も練習を重ねた後、曲と自分が一体となれた時にのみ経験する、ふわりと高みに持ち上がるような、高揚感を、どうやって生徒に伝えられるか思いあぐねていた時、知人から シュタイナー教育の話をきき “これだ!そして、将来、自分の子どももシュタイナー教育で育てよう!”と 決意し その後1年間 1日4つのアルバイトをかけもちし 資金を貯め サクラメントのシュタイナーカレッジに入りました。

決めたら 即 実行してしまうのは 私の長所でもあり 欠点でもあるのです。多くの友人に恵まれ シュタイナーにどっぷりつかった幸せな2年間でした。ホノルルでの 教育実習では 運命の教師に出会い 彼女のもとで働きたくて 卒業後もホノルルのシュタイナー学校で働きました。

やがて 結婚と共に 帰国し 九州に住んで はや20年、もう かれこれ30年も関わっているシュタイナー教育 いつになってもまだまだ入り口に立ってるようで 神秘的で 深いな~!と感じています。

大野城で生まれ育ち、水城跡の川や森で遊びまわる楽しい子ども時代を過ごしました。
中学生の時に教師になろうと心に決め、教育大に進んだ後に神奈川県の公立小学校、ロサンゼルスの日本人学校で担任を勤めました。

いつも「真の学びとは何だろう」というテーマが自分の中にあり、自分が行いたい教育を模索していました。結婚を機に移り住んだニュージーランドでは環境教育の子どもワークショップグループを作ったり、補習校を立ち上げたりと、自分への問いかけを続けつつ、子どもたちの笑顔と目をキラッと輝かせる瞬間をいつも見たくて、子どもに関わり続けてきました。

そんな中、人智学のコミュニティーがある地区に住んだことがきっかけで改めて出会ったこの教育に、私が求めていた「真の学び」が全てある!と感じ、我が子たちをシュタイナー教育で育てることに決め、長女が2歳の頃から通い始めたシュタイナースクールの保護者としても10年が過ぎました。

大らかな環境の中、全ての子どもがありのままを大切にされる、愛あるコミュニティーの姿に私たち家族もたくさんのことを学ばせていただきました。20年ぶりに戻ってきた故郷福岡で、いつか日本でシュタイナー教師を、という夢を叶えさせていただけることに感謝しております。

全てが繋がり合うこの世界の美しさ、ありのままでいることの素晴らしさ。ここで出会う子どもたちにそんなメッセージを伝えつつ、子どもたちと共に学び共に歩む旅を続けていきたいと思います。

大分に生まれ大分で育ち、結婚を機に住まいを福岡に移しました。誠実な父と太陽のような母、3つ違いの姉と妹、そして、友と過ごした大分での生活は、私の宝物です。福岡では子育てを通して人智学を学ぶ方々と出会い、土曜日クラスの運営やクラスに関わるなど、共に活動したことが今の私を支えてくれています。学園では、1年半ほど放課後の見守り指導員として関わらせていただき、縁あって教師として子ども達の前に立つこととなり、今年で6年目となります。バイオグラフィーワーカー。

北海道出身、大学卒業後、青森県と北海道で公立学校の理科教員をしていました。

シュタイナー教育の考えに共鳴し、ひびきの村、ミカエルカレッジで2年間の初中等部教員のトレーニングを終え、その後、オーストラリアやニュージーランドのシュタイナー学校で、日本語のアシスタント、エポック授業の見学など、約1年半の研修を終え、帰国後は、北海道シュタイナー学園で、高等部理科の教員として、約10年間勤務し、2019年4月から、こちらで3・4年生の担任として働くこととなりました。

今までの経験を活かしつつ、新たな気持ちで、子どもたちと接しています。学園のこと、福岡のこと、まだまだ不慣れなことも多く、皆さまに助けて頂きながら、日々を過ごしています。よろしくお願いします。

宮崎で生まれ、3歳まで大阪で育ち、その後高校卒業まで小倉で過ごしました。

私の原点である小学生時代は、山や川を駆け回り、自然の不思議や美しさに毎日が感動の日々を送りました。中学生のとき、恩師への憧れと自然のすばらしさを伝えたくて理科の教師を目指し、念願かない公立中学校の教師になりました。

このまま定年まで勤めあげるつもりで15年ほどは、仕事に没頭、その途中、シュタイナー教育に出会いました。その後、サクラメントのルドルフ・シュタイナーカレッジ、日本人のためのプログラムを受講し、シュタイナー学校の必要性を確信し、退職後、北海道へ子ども二人と移住。ひびきの村のミカエルカレッジ教員養成講座にて2年間のプログラムを終了後、いずみの学校にて1年間、アシスタントを経て、クラス担任をさせていただきました。

その後、福岡に帰り、桧原シュタイナー土曜学校で5年間担任を務め、2009年より現クラス担任を担当しています。子どもたちとともに、この学園ですごすことの喜びを日々実感しています。 これからの学園作りを皆様とともにできること、新しい出会いに感謝です。どうぞよろしくお願いいたします。

福岡に生まれ福岡で育ちました。
自分の将来を模索していた20代中頃にシュタイナー思想と出会い学びを続けてまいりましたが、30年近くも私を導いてくれたものは難しいシュタイナーの書物ではなく人智学の思想に基づいて社会的な活動を行ってこられた、いわば人智学を生きてこられた方々の姿でした。

自分自身の子育てを通じ仲間と始めた土曜日クラスの運営にかかわるうちに、思いがけず教師として子ども の前に立つこととなり、10数年は教育や水彩画を学びつつ那珂川市や北九州市で幼児や小学生のクラスを続けてきました。

2016年より担任として学園に関わることとなり、更に深く学んでいかなければならない状況ではありますが、子どもたちと共に自分も育っていきたいと考えております。専門は大人の自己教育としてのバイオグラフィーワークとバイオグラフィカルカウンセリングで、どうしたら人は真にその人らしく自身の人生と向き合っていけるのか、また私自身はそれにどうやって寄り添っていけるのかということがライフワークです。

幼い頃から音楽に合わせて踊る事が好きで、自分で作った曲を録音して友達を誘って踊ったり、レコードを聞きながら指揮者のまねごとをするのが日課でした。詩を作ったり心に浮かんだ言葉を書き留めたり、お話を作るのも好きでした。

シュタイナー教育の事を知ったのは、1冊のシュタイナー学校留学体験記を読んでからです。芸術と教育と療育がオイリュトミーという言葉の中でひとつになりました。高校の音楽科教師になった頃、オイリュトミーの舞台を見たり体験をして、これは音楽の本質と出会える芸術だと確信し、ドイツ・シュトゥットガルトのオイリュトミー学校に留学しました。4年の修行期間にライアー(竪琴)とも出会い、帰国してオイリュトミーとライアーを通して沢山の方と出会うことができました。  

福岡を中心に、九州各地で大人と子どものオイリュトミーとライアー講座を行い、桧原シュタイナー土曜学校では設立以来オイリュトミーを担当。福岡シュタイナー学園の立ち上げにも参画しました。子どもたちの創造の力を通して、オイリュトミーの美しさと小さな奇跡に出会う喜びは格別です。密かな楽しみは、万華鏡。

福岡県生まれ。
幼少期は、ごく普通のサラリーマン家庭で過ごしました。
10代の時に音楽との出会い、病気での長期療養、キリスト教の受洗など生涯を通しての大きな出来事を経験しました。その後は子育ての中でシュタイナー教育と出会い、特にオイリュトミーへと傾倒していきました。
オイリュトミーの修行を終え、福岡に戻ってすぐにご縁をいただき福岡シュタイナー学園の立ち上げに立ちあわせて頂くことができ今に至っています。
昨年の夏に、実家のある田舎に転居し豊かな自然の中に暮らしています。
 

公立小学校勤務10年ほどで、学校教育のおかしさに気づき、西洋の教育思想を学び始めました。

フリースクールなどの思想に巡り会う中で、シュタイナー教育にも出会いました。以後、公立の中でもできる形でシュタイナー教育を取り入れ始めます。そして、子どもたちの反応で、シュタイナー教育のすばらしさを確信しました。

特別支援学級の担当時は、カリキュラムが自由なため、エポック授業の形も取り入れ3年間実践し、発達障害の子どもが生き生きと学ぶ姿に、感動を覚えました。その時期から並行して、シュタイナー音楽教育の学習のための横浜アウディオペーデの四年間の研修を受けました。

そして、27年間の公立教師生活にピリオドを打ち、福岡シュタイナー学園の担任として働き始めます。シュタイナー学園に子どもたちを通わせようと決断された保護者の方々の勇気と熱に感動しつつ、その思いに応えられる教師でありたいと、日々、子どもの姿に学び、自分の内面を問い直し、子どもたちの前に立っています。